太宰治と撮り鉄も愛した「三鷹こ線人道橋」、存続ならず撤去へ 設置から約1世紀

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昭和4年当時の姿を今も留める、太宰治が愛した「三鷹こ線人道橋」

©三鷹市

東京都三鷹市にある、中央線と総武線をまたぐ「三鷹こ線人道橋(こ線橋)」が撤去されることになりました。2021年9月7日(火)、三鷹市が公式に発表しています。このこ線橋は、三鷹車両センターの上を横切ることから鉄道ファン(撮り鉄)にも人気の撮影スポットです。また、三鷹ゆかりの文学者で世界的にも有名な太宰治が愛した場所としても知られ、歴史ある昭和初期の風景がまたひとつ姿を消すことになります。

「三鷹こ線人道橋」は、三鷹駅から武蔵境駅方面へ約400メートル(m)の場所に位置します。1929年(昭和4年)に旧三鷹電車庫(現在の三鷹車両センター)の建設に伴い当時の鉄道省が設置しました。鉄道省から国鉄を経てJR東日本が継承して以降、現在までJR東日本が維持管理を行なってきました。しかし同社は、こ線橋は鉄道事業施設としてではなく、実質生活道路として利用され、公共的施設として管理されることが相応しいとの見解から、三鷹市への無償譲渡の申し入れがなされていました。

JR東日本はさらに6月、建設から92年と長期間経過したこ線橋が、耐震性能が現在の基準を満たしておらず、利用者や鉄道の安全安定輸送に支障をきたすことが想定されること、こ線橋の代替施設として堀合地下道があることから、撤去したいとする方針を示しました。三鷹市も、大規模な改修やメンテナンスに多額の費用が必要となること、改修により文化的価値が損なわれる可能性が高いことなどから譲り受けることは困難と判断、撤去を決定しました。

撤去の時期については明らかとなっていませんが、昭和4年に竣工した当時の姿を今も留め、太宰治が愛した場所としても文化的価値は高いことから、今後はJR東日本と連携し、こ線橋の一部を譲り受け、保存や映像・画像等での記録など、後世に記憶と記録を残す取り組みを行います。

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