2024年春に北陸新幹線が延伸・開業する福井県敦賀市。現在は北陸本線の敦賀駅を中心に日本海へ向かって街が広がっています。その先にある敦賀港近くには、美しい佇まいの洋館「敦賀鉄道資料館」があります。建物はまるで神戸や横浜にある西洋の異人館そのもの。ここは明治に開業した「欧亜国際連絡列車(ポートトレイン)」の発着駅・「旧敦賀港駅舎」を再現した建物です。
「欧亜国際連絡列車」って?と思う方も多いかもしれません。1912年(明治45年)に設定された、東京から敦賀、航路を経て、ウラジオストクからフランス・パリまで行く列車のことです。この複雑な路線で運行されていた欧亜国際連絡列車ですが、必要な切符はたったの1枚でした。
大河ドラマ「いだてん」で有名な「金栗四三」が、ストックホルムオリンピックに出場するため、実際に利用した列車でもあります。旅客機のない時代の、東京から北陸まわりでヨーロッパまで行ける不思議な列車について、観光ボランティアガイドつるがの名物ガイド・奥田さんの案内のもと、紐解いてみたいと思います。
「敦賀鉄道資料館」は敦賀駅から車で7分の場所に位置しています。敦賀の鉄道の歴史を模型やパネル、そして当時の貴重な鉄道資料などが展示されています。
敦賀に鉄道が走ったのは1882年(明治15年)、日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の開業から10年後に北陸本線として開通しました。当時は敦賀港駅の前身となる金ヶ崎駅として開業します。そもそも敦賀は古くから日本とアジア大陸を結ぶ交流拠点として、また、江戸中期以降は「北前船」でも知られる北前貿易の中継基地「敦賀港」を中心として栄えてきました。1899年(明治32年)には開港場に指定されると1902年(明治35年)にロシア・ウラジオストク間で定期航路が開設されます。これ以降、貿易・文化交流の拠点となる日本海側の玄関口として、重要な役割を担ってきました。
1912年(明治45年)には、新橋-金ヶ崎駅間でウラジオストク航路へ接続する直通列車を設定。ついにウラジオストクからシベリア鉄道を経由する、「欧亜国際連絡列車」が誕生します。これまで海路で1ヶ月以上かかっていた東京-パリ間が約半分の17日間で結ばれることになりました。その当時の旅費を現代の価値に換算すると100万〜150万円にもなるそう。現在の飛行機のファーストクラスに搭乗するくらいの料金で17日間の旅。長い旅行をしていると思うと高いのか、安いのか考えてしまいます。
資料館では東京-ベルリン間で使用したきっぷや、東京からパリまでの時刻表(いずれもレプリカ)も展示されています。東京からパリまでの時刻が1ページに収まった時刻表は経由する各都市が漢字やカタカナで表記されていて、眺めていると、夢を見ているようなとても不思議な感覚に陥ります。
他にも1962年に開通した現在の北陸本線となる前の旧線に多く存在した敦賀-今庄間にある鉄道廃線跡とトンネル群についても展示され、日本海側の拠点だった敦賀の歴史を学ぶことができます。
また、敦賀港駅のあった金ヶ崎緑地と呼ばれる地域には、当時の面影や歴史を残す箇所が点在しています。石油貯蔵用の倉庫として建設された「敦賀赤レンガ倉庫」。かつて小浜線で「急行わかさ」として活躍したキハ28形の展示や、明治後期から昭和初期にかけての敦賀のまちなみを鉄道と港を再現した鉄道ジオラマも展示されています。敦賀港駅跡地では、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫で国内最古の鉄道建築物のひとつでもある「ランプ小屋」も見ることができます。
1年半後に福井県へ延伸開業を控える北陸新幹線、その延伸時点での終着駅となる敦賀。かつての日本海側主要拠点だった当時の歴史の面影と、新たに生まれる新幹線の歴史という2つの鉄道史を刻む町を訪れてみてはいかがですか。