126.4km 3駅 期間: 2020/08/21〜2020/08/21
乗車記「無料宿泊所と化した実家から西鉄電車に乗って大牟田へ」に含まれる写真を全31枚を表示しています。
自転車通学は高校2年にそれで交通事故に遭ったので終わりとなりバス通学になりました。バスの塗装は当時と同じで変わりません。 しかし時代も大きく変わり実家が売れてしまった2ケ月後に唯一残っていた母親が亡くなりこの大野城市とも戸籍の縁を切りました。 なにかと対応が悪くて嫌な思いばかりをさせられた市役所でした。 それももうこれでおしまいになりました。
駅前広場も高架化に伴い大改修中でした。 この左に自転車置き場があってそこに止めて電車に乗ってました。 手前右の交差点に出るところにレコード屋さんがあって初めて買ったレコードもそこで買いました。
中学2年生の夏休以降の二学期から大学1年生までと大学4年生の合計5年半ここから通学しました。 色々ありましたがとても密度の濃い日を過ごすことができました。 実家が無くなったのでもうここから乗ることも降りることもしなくなります。 この写真を撮った後ろが自転車置き場でこの右手に駅の入口がありました。 この不動産屋は当時はケーキ屋さんでした。
この時線路の高架化と駅の高架化の工事中でした。 下大利から雑餉隈からさきの井尻手前にかけてその工事は行われています、井尻から大橋にかけては途中に新幹線の高架があるので無理のようです。たった一駅ですけどね。
コロナ禍で果たして実行されたのでしょうか。 この時もだいぶ前と思ってましたら完全にコロナ禍の時代でした。 いつまで続けるコロナ禍恐怖
柳川は水郷の町です。 ちょうどいい所に停車しました。
大牟田は隣接している熊本県の荒尾と共に炭鉱で栄えた町でした。 三井三池炭鉱は大牟田にあったのです。
こちらは西鉄の路線図です。
後ろ髪引かれるような気分でした。
路面電車全盛期には福岡市内線もいくつも路線があり所有台数もたくさんありましたが今はその保存されている車両は福岡市内には確か一両もないはずです。 大抵の路面電車があった都市は資料館なり博物館なりを建てたりしてその中に保存されているところも多くあるなか福岡市、西鉄は保存にはとても不熱心でした。 文化的にそれだけのものを残すという大切さということも必要なのでしょうがどうも福岡は文化に対しての民度がとても低く感じるのは出身者としての私だけでしょうか。 これを見ながらそんな寂しさを感じながら駅を後にして福岡へ戻りました。
中洲にあったデパートで大学1年生の時にアルバイトをしたことがありました。 後に廃業されました。
大牟田駅前に移設されてきた元大牟田で走っていて後に福岡でも走っていた路面電車204号 通学時に路面電車に乗っていたこともあったのですがこれに乗ったことがあるかかどうかは定かではありません。
こちらは隣接したJRの路線図
自転車通学は高校2年にそれで交通事故に遭ったので終わりとなりバス通学になりました。バスの塗装は当時と同じで変わりません。
しかし時代も大きく変わり実家が売れてしまった2ケ月後に唯一残っていた母親が亡くなりこの大野城市とも戸籍の縁を切りました。
なにかと対応が悪くて嫌な思いばかりをさせられた市役所でした。
それももうこれでおしまいになりました。